隊員提供による被害の状況などの画像データです。(1998年12月6日編集・公開分)
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Nueva Vida地区(マナグア;浸水被災者の移転居住区)にて、1998年11月14日(土) (撮影 平成9年度3次隊 大内基幸/マナグア、システムエンジニア)
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給水所近くにいた人達
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給水所の様子。真ん中にある白いマットのようなものが水が入った袋で、手前の水溜まりのところに設置された蛇口から自然流下の圧力で水が出るようになっている。
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警察官の見回りも比較的頻繁に行われていた。それでも、木材や家財、食糧の盗難があると訴える人に何人か会った。
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この台のようなものの上で洗濯や調理をする。左側1/3くらいは水が溜められるようにないっていて、ここから水を汲み出しながら利用するため、水道の流し放しでの利用に比べて水の使用量は少なく済むが、汲み置きの水は不衛生になりやすい。また、排水はこの写真からもわかる通り垂れ流し状態のところがほとんどで、あちこちに異臭を放つ水溜まりがあった。が、これがこちらの「普段の状況」でもある。
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水道配管敷設のための溝掘り作業の様子。掘っている人達は被災者で、水道公社がアルバイトとして雇っていて、被災した人達の現金収入源の一つになっていた。午前に5m、午後に5m掘って、1日25コルドバ(約300円ほど)もらえるらしい。
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鶏などもあちこちで見かけた。被災地から連れ出す(?)ことに成功したのだろう。
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市役所による家族実勢調査があったようで、その際に渡された紙らしい。食料品などの配給量が書いてある。
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こちらは各家庭の人員構成が書かれた用紙。
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水を運ぶ子供たち。こういう笑顔を見るとほっとするし、あるいは被災なんてしてないんじゃないかと思ったりもするのだが、目の前にある現実はやっぱり厳しい。
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給水車。消防用の水タンク車が使われていた。
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調理の様子。ありあわせの石などを集めて路地に簡単に場所を作って、このように鍋一つで調理しているところが多かった。
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学校は被災者の避難所に使われたりしている関係で新学年までお休み。ただし、こちらは学校年度は1月から12月まで、また、被災家庭の子供に関しては特例的な進級の条件が認められたらしいので、おそらく彼女も1月からは次の学年で学べるんだろう。学校に行きたい?と聞こうと思っていたのだが、聞き損ねてしまった。
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この日訪れたときには既に多くの家庭が家らしきものを建てていたが、中にはこのように今から家を建てるようなところも見られた。噂の域を出ないが、そこそこ生活力のある人が後からこの地にやってきて住みつき、素知らぬ顔で援助物資をもらって、それを市場などで売りさばいて現金化しているという話しもある。
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配給所に集まる人達。
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カメラを持っているとすぐに人が集まってきて、「撮ってくれ」と言われる。これもそんな要求に応じて撮った1枚。
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同じく、請われて撮った1枚。このように表情が比較的明るい人が1/3、深刻に生活が苦しいと訴える人達が1/3、そしてとにかく何もかもが悪いとあちこちで文句を言って回っている人が1/3、そんな印象を受けた日だった。
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基金利用による石鹸配布活動の様子(1)
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基金利用による石鹸配布活動の様子(2)
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1998年11月21日前後 チナンデガ県にて (提供
平成8年度3次隊 小倉一美隊員/エルビエホ、電気機器)
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河原で見つけた流木。根の部分だけで人間の身長の倍くらいはある。上部は既に切り分けられ、燃料になってしまったのだろう。それにしても、こんな巨大な木が倒され、流されてくるほどの水量、とても想像できない。
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対岸との船による渡し場。
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えぐられた川岸。中央に見えるのは、応急で作られた道路。
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中央部分が流されてしまった橋。通常の水量では何の問題もなく機能していたのだろうが……。
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土石流を起こしたCasita火山の、えぐられた山肌。